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バスの中でのひとコマ…バリアフリー社会を考える。

昨晩、私がバスで帰宅途中の出来事でした。

私が降りる前のバス停だったと思います。
車椅子に乗った男性がバス停で待っていました。
他の乗客も数人そこから乗ってきたのですが。

乗客が乗って、そのままバスが出発しようとしたのです。
車椅子に乗った男性が一生懸命バスカードを手に持って
振っているのが、いちばん後ろの座席にいた私には見えまして。

この雨の中、バスに乗ろうと思って、ずっと待っていたのだろう
と思うのです。
傘も持っているし、雨に濡れているし、バス停まで来るのも
きっと一苦労だっただろうに…と思うと、見過ごせませんでした。

私はどっちにしても次のバス停で降りるので、
一生懸命ブーブーと降車ボタンを鳴らし続けました。
でも、運転手さんも気付かないし、
同じバス停から乗った人達も何も言わないんですね。

私は半分頭にきて、座席を立って、運転手さんのところまで行きました。
かなり大声になっていたかもしれないのですが、
「あのぉ…車椅子の方がバスに乗りたがっているみたいなんですけど…」
と、言ったら、バスの運転手がやっと気付いてバスをバックさせていました。

運転手が降りて、そのあと続いて数人男性が
「手伝いますよ」と言って降りてきたのですが。
非力な私では車椅子は持ち上げられないので
せいぜい傘をかざすことしか出来なかったのが情けなかったのですが。

なんとか車椅子の置ける場所を作って彼はバスに乗ることが出来ました。

私も次のバス停で降りるのでまたボタンを押し、出口付近で
彼を見守っていたのですが。

正直、いろんな意味で複雑な気分でした。

いちばん複雑な気分だったのは、恐らく彼だろうと思います。
恩着せがましい感じにはなりたくなかったので、私は終始無言で
彼を見守っていました(ちょうど坂もカーブも多い場所だったので、車椅子が
滑ってしまうと危険だと思って…)。
そして、当然バスを止めただけの私は礼も言われる筋合いもないので、
自分の最寄りのバス停に着いて、何も言わずにバスを降りました。

本当に、複雑な思いです。

まだまだ日本はバリアフリー社会じゃないなぁ…という感覚。
運転手も気付かなかったのもどうかと思いますし、
一緒に乗ってくる乗客が何も言わずにいたっていうのも変ですし
(一緒に待っていたのだから、「車椅子の方いらっしゃいます」と
誰かが言ってあげてもよかったのでは?と思いますし)。
車椅子対応のバスと言っても、実際に乗せるのにかなり手間がかかり、
スロープもなければ車椅子を固定させる場所もない
…という、中途半端なつくりであり。

「手伝いましょうか?」と出てきてくれた男性が数人(いずれも中年の方でした)
がいたことで、ある意味まだ日本はこういう人達に救われているのかな?
なんて思ったりもしましたが。

ただ…その、車椅子に乗っていた本人も本人で。
確かに、障害者って思われるの、嫌なんだろうって想像します。
自分も普通にバスに乗る権利あるよって思うのもわかる気がします。
彼は比較的若い人だったのではないかと思うのですが。
去ってしまいそうだったバスに対して「なんだよ、無視しやがって!」
という怒りもあったかもしれません。

けれど、やっぱり人間として、他人の手を煩わせた
(こういう言い方も失礼かもしれないけれど)
からには、「ありがとうございます」の一言は必要だと思うのです。
それは「障害者だから」ではなく。
「人間として」だと思うのは、私だけでしょうか…?

すごく按配が難しい問題なのもわかるのです。
「当たり前に暮らしたい」って思っているだろうし、
自分が障害を持っていることに憤りを感じてもいるのだろうし、
車椅子に乗れば周りが「障害者」と見るのは苦痛なのではないか…と。
特別視なんかされたくない!って思いはあると思うのですが。

だからといって、「俺は障害者なんだから周りはやってくれて当たり前」
と思っていたのだとしたら、それはどうかなぁ…と思うのです。
それは、「障害者としてみられたくない」という思いとある意味
矛盾しませんか?と私は思ってしまうのです。
自分のために周りが動いてくれるのが当然と期待しているのならば。
それは「障害」を利用していると言われても反論出来ないのではないでしょうか。

私自身も、どこかで倒れて、知らない人に助けてもらったら
やっぱり「ありがとうございます」「すみません」くらいは言います。
人の手を煩わせて助けてもらっているわけなのだから。

別に、バスを止めただけの私に彼が礼を言う必要はないけれど、
車椅子を持ち上げてくれた人達に対して、やっぱり「ありがとう」と
彼は言うべきだったのではないかなぁ…とすごく思うのです。
もしも、助けてくれた人達がそれで気分を害して、
「こんなことならもう助けてやるもんか!」って思うようになったら
助けようと思う人がいなくなってしまうのではないでしょうか。

…そういう人ばかりになってしまう社会は、私は嫌です。
やっぱり人間、生きていく上で礼儀って必要なんじゃないかな
…すごくそう思わされました。

この話に対して異論・反論などもあるかもしれませんが、
この場で一緒に考えてゆければいいなと思っています。
どうぞご意見をお寄せ下さい。
by s-tamagosan | 2006-06-16 12:35 | 教育と福祉
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