ココロについて語ろう!
2006-10-23T21:37:05+09:00
s-tamagosan
「心理屋」の見た世界を徒然と語ります。
Excite Blog
産業系心理屋(産業系のカウンセラー)として修行中。
http://stamago.exblog.jp/4558351/
2006-10-23T21:37:05+09:00
2006-10-23T21:37:05+09:00
2006-10-23T21:37:05+09:00
s-tamagosan
心理
私は10月から、少しずつ心理屋として復活しつつあるところです。
現在は、どことは言えませんが、高等専門学校のスクールカウンセラーをしています。
そして、今週後半から週1日、産業系の研究所で、仕事を手伝いながらいろいろと学ばせていただくことになりました。
それから、もう願書が届きましたが、産業カウンセラーの試験を受けるために
(…と言ってしまうともう後に引けないところが辛いですが…)
今、勉強しているところです。
私は本を目で読みながら覚えられるタイプではなく、書かないと覚えないタイプなので、受験となると毎度毎度腱鞘炎になりかけます(実際なったこともあります)。
ただ、実際私は産業カウンセラー養成講座を受講したわけではなく、
「心理学又は隣接領域の学科の学士を持っている」という条件で受験するので、実際の情報がなかなか得られないのが現状です。
同じ試験を受ける主人から細々と得る情報がすべて、といった状況です。
産業カウンセラーになられた方、あるいは同じく受験される方、
企業のメンタルヘルスの実情に直面されている方、などなど、是非情報をいただけたらと思います。
また、実際にこれから私も「産業系心理屋」としてやっていこうとしているのですが、
やっぱりまっとうな「産業系心理屋」になりたいので、こういったことに関心のある方々、
あるいは、現在休職中の方々、復職しようと試みている方々、求職中の方々、
メンタルヘルス問題に直面している同僚の方々、上司の方々、人事労務の方々などの
多方面からのご意見をお伺いできれば幸いです。
こういったところで意見交換が出来たらいいな、と私は考えております。
よろしくお願い致します。]]>
企業における心の病の現状。
http://stamago.exblog.jp/4402272/
2006-09-30T21:22:47+09:00
2006-09-30T21:22:47+09:00
2006-09-30T21:22:47+09:00
s-tamagosan
心理
やっと少し落ち着いたので、3ヶ月のOL生活と、産業系の心理の勉強をしながら
感じたことを少し綴ってみようかと思います。
どんな地位の人も、それなりの悩みを抱えていたり。
「これ、本当に36協定違反じゃないの?」というくらい正社員が残業していたり。
派遣は派遣で、次期のクビが繋がるだろうか?とビクビクしながら仕事をしていたり。
上の人は上の人で会社の統廃合に合わせていろいろとシステムを改変せねばならず。
…大変なんだなぁ…というのを、目の当たりにした、という感じです。
そんな私は、9月末で契約を終え、また心理屋に戻る予定なのですが。
少し前にたまたま産業系臨床心理士の研修会に顔を出したのですが、
今現在、産業系で働いている臨床心理士というのは、全体でたったの2%なのだそうです。
スクールカウンセラーの普及のおかげで教育系の臨床心理士の割合は増えましたが、
教育、医療、のあたりが大半を占め、産業系はまだまだ、といった感じなのだそうです。
けれど、実際に現在、会社で心の病による休職者は非常に増えています。
特に、30代の休職者は(母体が多いのも確かだけれど)急増しているそうです。
30代で心の病にかかっている企業の人は2006年で60%を超えているそうです。
(2004年は約50%弱だったそうですが…。)
厚生労働省の調査では、心の病による休業者は全国で約47万人いるとのことです。
そして、大体200人に1人の割合、中小企業にその割合は高い、とのことです。
このような現状、皆さんはどう思われるでしょうか?
私は、出来れば今後、もっと産業系のことを勉強して、産業系の心理屋の世界にも
関与していけたらいいなぁ…と密かに思っているところです。
同じ30代として、この状況、やっぱり尋常ではないと思う気持ちもあるので…。]]>
残暑お見舞い申し上げます。
http://stamago.exblog.jp/4148720/
2006-08-19T08:54:13+09:00
2006-08-19T08:54:13+09:00
2006-08-19T08:54:13+09:00
s-tamagosan
ご挨拶
皆様いかがお過ごしでしょうか?
お盆休みも終わり、私も仕事三昧の日々、習い事三昧の日々を送っております。
習い事、とはいっても、単発講座が殆どですけれど…。
少しでもお仕事の役に立てられたらいいなぁと思ってやっております。
マンション住まいを始めて、初めての夏休みがやって来たわけですが、
小さなお子さん達の姿を見るたびに、「本当に少子化なのかしら?」と
首をかしげてしまう次第です。
とはいっても、第2次ベビーブーマーが子どもを産んでいれば、それは当然
子どもは増えるだろう…(全体的には減っているとしても)とも思ったり。
子ども達も夏休みを満喫している感じがします。
プールに行く格好をしている子ども達を見かけたり、
家族で旅行に行く格好をしている子ども達を見かけたりします。
子ども同士で遊んでいる姿も見かけます。
そんな子ども達の夏休みとは何ら関係なく日々を過ごしている私は、
旅行に行く暇もお金もなく;;
日常に埋没して生きている、といった感じです。
まだまだ暑い日々が続くと思いますが、どうか皆様ご自愛下さい。
そして、特に西の方では台風も到来しているようですので、
どうかお気をつけてお過ごし下さい。
追伸:
トラックバックについて、一応おかしなものに気がついたら削除はしているのですが、
確かめ切れない場合がございます。
(管理人として申し訳ありませんが…。)
怪しいな、と思ったら、ご自身のご判断で足を踏み入れないよう、
お願い申し上げます。]]>
自分のターニングポイントで自分を見つめ直すコト。
http://stamago.exblog.jp/4075589/
2006-08-05T17:27:06+09:00
2006-08-05T17:27:06+09:00
2006-08-05T17:27:06+09:00
s-tamagosan
心理
自分自身が危機的な状況にいる真っ最中。
自分が取り乱してパニック状態になっている時。
本人にとっては、それがとても苦しいけれど、
それが何かのターニングポイントになる。
そんな時って往々にしてあるように私には思います。
私も、実はちょっとスランプに差し掛かりました。
仕事でもだんだん責任が重くなっていくこと。
そして、あまりに頑張り過ぎてまた体調を崩してしまったこと。
…それがどういうわけか、自分の生き方を見つめ直すきっかけになるとは、
思いもしませんでした。
もちろん、今回激しく体調を崩しても自分を見つめ直せるきっかけとすることが
出来たのは、周りの人達のおかげだと思います。
こんな状態の私のクビを切らずにいてくれる職場の人達。
こんな私なのに支えてくれる周りの人達。
そして、こんな苦しい時だからこそ、
きちんと診察を受けて、カウンセリングも受けて、
自分の価値観や考え、感情をもう一度問い直す必要が
あるのだろうな…
それがきっと、何か新しい自分を生み出すのではないかな、
そんな気がするのです。
ただ疾風怒濤のように、がむしゃらに頑張って駆け抜けることだけを
考え続けていた私が、もう少し立ち止まって、自分というものを
しっかり考えてみないかい?
…と、今、問いかけられているような気がしています。
自分が心理の道…これでいいのか?!と迷って。
まだ迷い続けていて、会社員(派遣)をやっておりますが。
このポイントを乗り越えられたら、もっと大きなモノを手にすることが
出来るような気がするのです。
それが何なのかはまだ見えてきませんが。
そういうターニングポイントにこそ、カウンセリングって
必要なのかな…そんな風に改めて私は思いました。
ただ誤解しないで欲しいと思うのは、私は別に
カウンセリングに行って、カウンセラーのアドバイスが欲しいとか
「こういう方向へ」という指示が欲しいわけではない、ということ。
あくまで、自分自身の来し方行く末を整理し、模索するという作業を
安心して出来る時間と空間を求めている
…そんな感じなのではないかと思います。
誰にでも何にでもどんな時にでも、やたらに
「じゃあカウンセリング行ったらいいんじゃない?」
と言っているわけではないのです。
上記のような時に行くのが多分、最適なのではないかな…と私は思っているのです。]]>
「自分磨き。」
http://stamago.exblog.jp/3915324/
2006-07-09T23:22:43+09:00
2006-07-09T23:22:43+09:00
2006-07-09T23:22:43+09:00
s-tamagosan
心理
事情あって、6月末から、派遣社員として一般企業で働いています。
私自身は企業で働く、それも、いわゆる「事務系会社員」として働くのは初めてなので、
戸惑うことも多いのですが、今まで学ばなかったことを学ぶ、いい機会だと捉えています。
派遣会社が主催しているキャリアアップスクールの講座も受け始めました。
今はOAスキルアップの講座に着手したところですが。
そのうち心理の業界において論文発表をしたり、統計を出したり、グラフや表を作ることも
出てくるでしょうから、Word、Excel、PowerPointあたりは使えるようになれると、
将来的には非常に便利だと思うのです。
また、入った会社がたまたま外資系の会社なので、今は業務で使っていないけれど
ビジネス英語も学びたいな…と考えております。
留学経験はあるけれど、高校の時の留学だったので、日常会話主体でした。
かなり昔のことでしたので、ビジネスでやりとりするe-mailの書き方なども知らず。
「今だから必要なスキル」というのが学べたらいいな…と考えているのです。
その一方で、それでもいつかまた心理屋の世界に戻って、この「会社員」の経験も
生かしていきたいと考えているので、心理の研修もところどころ入れております。
どの分野に流れ着いて、どこに自分が落ち着くのかはわかりませんが、
常に「自分磨き」は欠かさないようにしたいな…そんなふうに今、考えております。
もちろん、いわゆる「スキル」だけではなく、感性も磨きたいな…と考えているので、
たくさん音楽を聴いたり、読書をしたり、映画を観たり、いろんな人とお話ししたり。
そういうことすべてが、後々活きてくるのではないか、と信じて。
日々が忙しくなるけれど、充実していればそれでいいかなと思っております。
「学ぶことが楽しい」と思えると、どういうわけか「生きていくことが楽しい」に
繋がっていくから不思議だなぁ…と思います。
(ただ、それだけやるには、やはり心身ともにパワーのある時でないと
なかなか行動には移せないことはあるのですが…。)
「自分磨き。」
老若男女、どんな人でもこれをとことん追求していくと、
生きるエネルギーに繋がっていくのではないかなぁ…と。
最近、私はそんなことを思っています。
もちろん、がーっと何かを必死で学ぶことだけが「自分磨き」ではないと思います。
ちょっとしたリラックス(マッサージを受けるとか、アロマテラピーとか、温泉に入るとか)、
女性なんかだと、お化粧やら服装を気にすることも「自分磨き」に入るのかも…?
その基準は人それぞれだと思いますが。
皆さんにとって、「これが私の自分磨きです!」というモノがあれば、
是非ご紹介いただけると有り難いなぁと思います。
そういうことを探していくのも、生きるエネルギーを得るためのヒントに繋がると思いますので、
そんな話も皆さんで分かち合っていけたらいいなぁと考えております。
ご意見、よろしくお願いします。]]>
バスの中でのひとコマ…バリアフリー社会を考える。
http://stamago.exblog.jp/3746657/
2006-06-16T12:35:00+09:00
2006-06-16T12:45:25+09:00
2006-06-16T12:35:42+09:00
s-tamagosan
教育と福祉
私が降りる前のバス停だったと思います。
車椅子に乗った男性がバス停で待っていました。
他の乗客も数人そこから乗ってきたのですが。
乗客が乗って、そのままバスが出発しようとしたのです。
車椅子に乗った男性が一生懸命バスカードを手に持って
振っているのが、いちばん後ろの座席にいた私には見えまして。
この雨の中、バスに乗ろうと思って、ずっと待っていたのだろう
と思うのです。
傘も持っているし、雨に濡れているし、バス停まで来るのも
きっと一苦労だっただろうに…と思うと、見過ごせませんでした。
私はどっちにしても次のバス停で降りるので、
一生懸命ブーブーと降車ボタンを鳴らし続けました。
でも、運転手さんも気付かないし、
同じバス停から乗った人達も何も言わないんですね。
私は半分頭にきて、座席を立って、運転手さんのところまで行きました。
かなり大声になっていたかもしれないのですが、
「あのぉ…車椅子の方がバスに乗りたがっているみたいなんですけど…」
と、言ったら、バスの運転手がやっと気付いてバスをバックさせていました。
運転手が降りて、そのあと続いて数人男性が
「手伝いますよ」と言って降りてきたのですが。
非力な私では車椅子は持ち上げられないので
せいぜい傘をかざすことしか出来なかったのが情けなかったのですが。
なんとか車椅子の置ける場所を作って彼はバスに乗ることが出来ました。
私も次のバス停で降りるのでまたボタンを押し、出口付近で
彼を見守っていたのですが。
正直、いろんな意味で複雑な気分でした。
いちばん複雑な気分だったのは、恐らく彼だろうと思います。
恩着せがましい感じにはなりたくなかったので、私は終始無言で
彼を見守っていました(ちょうど坂もカーブも多い場所だったので、車椅子が
滑ってしまうと危険だと思って…)。
そして、当然バスを止めただけの私は礼も言われる筋合いもないので、
自分の最寄りのバス停に着いて、何も言わずにバスを降りました。
本当に、複雑な思いです。
まだまだ日本はバリアフリー社会じゃないなぁ…という感覚。
運転手も気付かなかったのもどうかと思いますし、
一緒に乗ってくる乗客が何も言わずにいたっていうのも変ですし
(一緒に待っていたのだから、「車椅子の方いらっしゃいます」と
誰かが言ってあげてもよかったのでは?と思いますし)。
車椅子対応のバスと言っても、実際に乗せるのにかなり手間がかかり、
スロープもなければ車椅子を固定させる場所もない
…という、中途半端なつくりであり。
「手伝いましょうか?」と出てきてくれた男性が数人(いずれも中年の方でした)
がいたことで、ある意味まだ日本はこういう人達に救われているのかな?
なんて思ったりもしましたが。
ただ…その、車椅子に乗っていた本人も本人で。
確かに、障害者って思われるの、嫌なんだろうって想像します。
自分も普通にバスに乗る権利あるよって思うのもわかる気がします。
彼は比較的若い人だったのではないかと思うのですが。
去ってしまいそうだったバスに対して「なんだよ、無視しやがって!」
という怒りもあったかもしれません。
けれど、やっぱり人間として、他人の手を煩わせた
(こういう言い方も失礼かもしれないけれど)
からには、「ありがとうございます」の一言は必要だと思うのです。
それは「障害者だから」ではなく。
「人間として」だと思うのは、私だけでしょうか…?
すごく按配が難しい問題なのもわかるのです。
「当たり前に暮らしたい」って思っているだろうし、
自分が障害を持っていることに憤りを感じてもいるのだろうし、
車椅子に乗れば周りが「障害者」と見るのは苦痛なのではないか…と。
特別視なんかされたくない!って思いはあると思うのですが。
だからといって、「俺は障害者なんだから周りはやってくれて当たり前」
と思っていたのだとしたら、それはどうかなぁ…と思うのです。
それは、「障害者としてみられたくない」という思いとある意味
矛盾しませんか?と私は思ってしまうのです。
自分のために周りが動いてくれるのが当然と期待しているのならば。
それは「障害」を利用していると言われても反論出来ないのではないでしょうか。
私自身も、どこかで倒れて、知らない人に助けてもらったら
やっぱり「ありがとうございます」「すみません」くらいは言います。
人の手を煩わせて助けてもらっているわけなのだから。
別に、バスを止めただけの私に彼が礼を言う必要はないけれど、
車椅子を持ち上げてくれた人達に対して、やっぱり「ありがとう」と
彼は言うべきだったのではないかなぁ…とすごく思うのです。
もしも、助けてくれた人達がそれで気分を害して、
「こんなことならもう助けてやるもんか!」って思うようになったら
助けようと思う人がいなくなってしまうのではないでしょうか。
…そういう人ばかりになってしまう社会は、私は嫌です。
やっぱり人間、生きていく上で礼儀って必要なんじゃないかな
…すごくそう思わされました。
この話に対して異論・反論などもあるかもしれませんが、
この場で一緒に考えてゆければいいなと思っています。
どうぞご意見をお寄せ下さい。]]>
発想の転換~「とらわれ」からの解放~
http://stamago.exblog.jp/3564928/
2006-05-04T15:43:49+09:00
2006-05-04T15:43:49+09:00
2006-05-04T15:43:49+09:00
s-tamagosan
お仕事
しばらく続けていたスクールカウンセラーのお仕事、
まだ続けたい気持ちもあったのですが、自分が本当に心理屋としての適性が
あるのかどうか…と悩む場面も多く、結局少し距離をおいたところからもう一度
自分の適性というものを考えてみようと思い、職場を変わりました。
現在は、某女子大の学生相談室でインテーカー(相談受付・事務・その他雑用など)
の職に就いています。4月から始めて、はや1ヶ月になりました。
そのものズバリの面接をしているわけではないのですが、
ベテランカウンセラーのもとで雑事をしながら学ばせていただいている、
という感じですね。
もちろん、受付の面接はしますので、心理屋の世界から完全に離れてしまった
わけでもないのですが…。
私は、心理の仕事をやると決めた以上、
そこから脱落することは「=失敗である」という思いにとらわれ過ぎていた
ように思うのです。
でも、少し引いた立場からもう一度自分の立場、自分の能力、
何が出来て何が出来ないのか、何なら努力次第で変えられるのか、
どうにも変えようがないのか…など、考えるのにはちょうどいい機会なのかな
…そう捉えることにしました。
そう思えたことで、少し気が楽になった部分はあります。
よく、認知療法や論理療法などでも言われていることですが、
「~べき」「~しなければならない」という発想にとらわれていると
それが自分を苦しめ、生きにくくさせる、というのが何となく実感出来たような
気がします。
今の仕事は、そういう事務が多いのですが、一応週5日フルタイム。
なので、イメージとしてはOLさんと一緒ですね。
ベテランの仕事ぶりを見させていただきながら、
学ぶことは多いです。
細かな配慮に至るまで。
「なるほど…」と思わせられる部分もたくさんあります。
ついでに、PCの技術(特にWordやExcel)で知らなかったことも覚えたり、
電話応対のしかた、今まで入ったことのない女子大の世界(私は共学しか
行ったことがありません)、など、新たな領域を開拓している感じがして、
それはそれで楽しんでいますし、世界が広がった感じがします。
こういう発想の転換のしかた、というのもあるんだなぁ…と
最近改めて感じています。]]>
精神疾患回復途上の人達の居場所はいずこ?
http://stamago.exblog.jp/3129669/
2006-02-02T18:59:21+09:00
2006-02-02T18:59:21+09:00
2006-02-02T18:59:21+09:00
s-tamagosan
心理
「同志」じゃないけれど、同じような回復途上で何とかしようと
もがいている人達の居場所、というか、語り合える場があるといいなぁ
…と、ふと思いました。
無理せず焦らず、でも、ちょっとずつ負荷をかけていく。
この按配って結構難しいと思います。
一気に負荷がかかれば潰れてしまう。
潰れないように、崩れないように、そっと負荷をかける。
これ、ものすごく難しいと、自分でやってみてもそう思いますね。
精神疾患…ひとことで言ってもいろいろあると思うのだけれど、
私が「躁うつ病」という病名をいただいてしまってはや10年近く
…病気がなりを潜めていた時期も何度かあったのだけれど
(その時はかなり動き回れたような気がしているけれど)
「動けるから!」と言って一気に負荷をかけた結果、病状が悪化した、
という経緯を持っているだけに。
そういう時期もありつつ、幸いなことに
臨床心理士の資格も精神保健福祉士の資格も取得することが出来た。
そこから先がまた苦労の連続だったわけだけれど。
(今だって十分苦労しているけれど…。)
「無理し過ぎないで、適当に頑張る」
を合言葉にして、私は心理の世界だけでなく、違う世界も見ようと思って、
リハビリも兼ねて派遣のお仕事もしている。
もちろん、本業に完全に復帰することが当面の目標なのだけど。
そういう中で、「一緒になんとかやっていこうよ」と言える人がいれば、
そういう居場所があれば、お互いに支え合っていけるんじゃないかなぁ
…と思うのです。
でも実際、そういう人達の居場所ってあるかな…?
と探してみると、意外とないな…というのが私の率直な思いです。
「自分を立て直すのに必死だから」という理由もあるのだろうけれど。
精神障害者の施設、というと、デイケアや作業所などがあるけれど、
その次のステップはかなりハードルが高いんじゃない?とも思うのです。
精神障害者の職親制度みたいなものもあることはあるのだけれど。
「軽度発達障害」の子ども達にいちばん適した場所がなかなか見つからないように、
「軽度精神障害」の人間に適した場所を探すのは本当に難しいと思うのです。
何をもって「軽度」と言っていいのかわからないけれど、
とりあえずは「精神障害者」という枠には入らない人
(手帳や年金の対象外という人、という意味で)は、公の援助を受けることも出来ない。
自力で何とかしようと思うけれど、病気を隠しながら必死に適応しようとする
…というムチャクチャな無理をするから、再発するのではないか…?
と、しばしば考えてしまいます。
このブログが、そういった「居場所的役割」を果たせる場になるといいかな
…と今すごく思っています。]]>
受験戦争。
http://stamago.exblog.jp/3061660/
2006-01-21T18:59:01+09:00
2006-01-21T18:59:01+09:00
2006-01-21T18:59:01+09:00
s-tamagosan
教育と福祉
「あぁ、受験シーズンだなぁ…」とつくづく思わされる。
今現在、私は公立中学校のスクールカウンセラーである。
半年前までは、都会の公立小学校のカウンセラーでもあった。
自分の勤務先でも、今3年生は進路関係の話でてんやわんやしている。
今、自分の意思で進路を決められる子どもって、どのくらいいるのだろうか?
かなりの子ども達が「親の意思」で何となく進路を決定してしまっているのではないか?
小学校勤務の時、場所が場所、都内の一等地だったこともあり、
「小学校のお受験経験者」という子ども達がいて。
要は、私立の小学校に入れなかったから、公立の小学校にいる、という子ども達。
小学校がダメだったから、何としてでも私立の中学校へ…と
幼い子どもを学習塾に入れたり、英才教育を試みようとする親御さん達。
その期待に応えようと必死になる子ども達…。
試験に合格したらしたで多分、期待され過ぎて重荷になってしまったり、
試験で不合格だったらもしかすると、親の期待に応えられなかった…と
自分を卑下したり、自分自身が頑張ったのに…という挫折感を味わったり。
公立の小・中学校には、こういう子ども達も含め、雑多な児童・生徒がいる。
今現在、公立中学校では、「職場体験学習」などを実施し、
社会と接点を持つことで、将来どんなことをしたいのか、自分に何が出来るのか、
考えるきっかけを与えようとしているように思う。
その中で、自分のやりたいことを見つけ、そのために何が必要なのかを
子ども自身が見極めて進路を切り開いていけるのが、多分理想的な形なのだろうと思う。
ただ、実際は「受験のための受験」になってしまっているような気がしてならない。
「とりあえず高校くらいは出ておかないと、どこにも働きに行けないわよ。」
「オトナになったらいくらでも好きなこと出来るんだから、今は我慢しなさい。」
こういう言葉をかけられた人達は、少なからずいるのではないだろうか。
けれど、途中で潰れてしまったり、大人になってから不適応を起こしたり、
いつも自分と他人を比較する癖が身についてしまったり…と
「受験戦争」の弊害はいろいろと出てきているのが現状だと思う。
「もっといろんな道があるよね」
と体を張って教えてくれているのは、実は不登校の生徒達なのでは…
と、相談室にいるとふと考えることがある。
自分の殻に閉じ篭って考え、行き着く場所は
「私は、私のために生きたいの!」という思いであり、メッセージである、と私は思う。
彼らのその後の進路はさまざまだ。
全日制の高校に行く生徒もいれば、定時制や通信制高校に行く人もいる。
フリースクールに行って、もう少し自分探しを続ける、という人もいる。
発達障害を伴う生徒にしてみれば、養護学校の高等部の方が自分を発揮できる、
ということだってある(実際にそういう生徒と私は出会ったこともある)。
高校に入ってから中退することもあれば、友達が出来ていろいろと支え合いながら、
一緒に頑張って高校卒業しようね、という人だっている。
私がスクールカウンセラーになって、もうすぐ4年。
初年度の時に中3だった生徒は、高校に行っていれば今年卒業することになるのだろう。
自分の意思で、何らかの行き先を見つけられるといいなぁ…と切に願っている。]]>
新年あけましておめでとうございます。
http://stamago.exblog.jp/2953811/
2006-01-02T23:42:54+09:00
2006-01-02T23:42:54+09:00
2006-01-02T23:42:54+09:00
s-tamagosan
ご挨拶
私は、いわゆる「寝正月」に近い過ごし方をしております。
…というより、ホンネは、現実逃避です。。。
仕上げなくてはならない、再提出の知能テストのレポート、
それから、3学期に出そうと思っている保護者向けのお便りに書くネタ探し。
そんな宿題を私も冬休みの間にいただいてしまいました。
子ども達にとっても、学校の宿題とか面倒だろうなぁ…と思うけれど、
大人だって、それなりの課題というものがあるわけで…(苦笑)
唯一救いなのは、私の親戚に子どもがいないので、お年玉をあげなくていいこと、かな?
保護者向けのお便りに「こんなのが書いてあったらきっとためになるだろう」
というネタがあれば、是非教えて下さい!!!
…まぁそんな感じで相変わらず、バタバタな日々です。
(それでも寝正月なのだけど…。)
また更新が不定期になるとは思いますが
今年もどうぞよろしくお願いいたします。]]>
家の間取りと家族関係
http://stamago.exblog.jp/2876619/
2005-12-20T18:42:10+09:00
2005-12-20T18:42:11+09:00
2005-12-20T18:42:11+09:00
s-tamagosan
心理
家の間取りを聞くことについては、相手が子どもでも大人でも
あまり抵抗なく答えてくれることが多いからです。
そこから私はよく「家族関係がどうなっているのか」ということを
推測することを試みています。
もともと、「家の間取りと家族関係」ということに私は興味があります。
そういう関係の研究をやっている方が実際いらっしゃるとを聞いています。
(その方の著書を読んでみたいのですが、多分論文ならあるかもしれません。)
もちろん、興味本位で来て下さる方に尋ねるわけではありません。
子どもに個室が与えられているのか、いつ頃から与えられたのか。
誰と誰が同じ部屋で寝て、誰が別の部屋で寝ているのか。
食卓における家族の座る位置はどこなのか。
広さの関係で、必ずしも各人に個室が与えられるわけではないのが現状ですが、
例えば両親が別々の部屋で眠っている、とか。
両親+誰か子ども一人(小さい子どもではなく)が一緒、他のきょうだいは別の部屋、とか。
片親+子どもで一部屋、もう片方の親だけ別の部屋、とか。
異性のきょうだい(思春期以降)が同じ部屋、とか。
何となく組み合わせとして不自然だな、と思うと、
もう少し突っ込んで聞いてみることもあります。
そうすると、家族関係が何となく見えてくることがしばしばあります。
例えば、母と息子がいつも一緒、父は別のところにいつもいる、という方がいます。
よくよく聞いてみたら、両親はあまり仲が良くないという話に繋がっていったり。
両親と子ども1人が一緒の部屋、他のきょうだいは別の部屋、という場合も、
よくよく聞いてみるとまだ子どもの気持ちが親から自立出来ていないこともあったり。
(反対に、親の気持ちが子どもから離れられないケースもありました。)
また、玄関からどうやって自分の部屋に行くか、という話もします。
必ず居間を通らないと部屋に行けないという場合は、外出すれば
当然帰ってくる時は家族の誰か、居間で過ごしている人に会います。
けれど、玄関から個室まで誰にも会わずに行けるという場合、
いつその人がいるのかいないのかがわからなかったり。
夜に外出していたとしても、いつ帰ってきたとしても、誰もそれを把握していないとか。
その家族の生活が、間取りを聞いて垣間見える、というのもはじめは不思議でしたが、
話を聴いているうちに何となくそれもあながち不思議ではないな…と思うようになりました。
ちなみに現在の我が家は、狭いので個室はありません。
玄関から居間を必ず通って寝室に行くシステムになっています。
新居に移ったら少し勝手が違いますが、出入りが全く把握できない状態には
したくなくて、どこの部屋も全部共用にしました。
作業部屋、寝室、リビングとリビングが見えるカウンターキッチン、そして客間、と。
(後々もしも子どもが出来たとしたら、子どもに個室として客間を与えるつもりですが、
まだいないので、今はあまり考えていません。)
皆さんはどんな間取りの家で過ごしていらっしゃるでしょうか?
一度この機会に検討してみるのもいいのかもしれませんね。]]>
引越し。
http://stamago.exblog.jp/2729664/
2005-11-29T20:15:20+09:00
2005-11-29T20:15:20+09:00
2005-11-29T20:15:20+09:00
s-tamagosan
その他
それも、世の中ではどちらかというと「下流層」に属するのではないか…?と思われる
私達夫婦が、必死にお金を貯めて買うことにしたのです。
ニュースでは、今年はマンションがかなり売れたそうです。
(私達もその中の1家族ですが…。)
私達の買ったマンションの周りにも、今住んでいる地域の周りにも、確かにたくさん
新築マンションが林立しております。
(註:一応、東京23区内です。)
前置きはこのくらいにしますが。
契約、入居説明会、内覧会…などなど、何度か足を運び、同じマンションの住人に
なるであろう方々を観察しておりました。
今まで住んでいたボロマンションとは、随分住む方の雰囲気が違うな…と感じました。
特に高級住宅街でもないし、庶民の街なのですが、「ファミリータイプ」を売りにした部屋の
造りであり(いわゆる3LDK中心の間取り)、ある意味カルチャーショックを覚えています。
今住んでいるところにはご老人の方々しか見当たらないのですが
(あまり子どもがいる雰囲気の世帯はないようです)
引っ越し先では、「本当に今は少子化の時代なんですか?」と問いただしたくなるくらい
たくさん子どもを見かけました。
子どもの多い地域と少ない地域って、かなり偏っているんですかねぇ…?
そして。
私が現在悩んでいるのが、「近所付き合い」のことなのです。
子どもを介して仲良くなる、というのは、我が実家でもよくあった「近所付き合い」の
形態ですが、果たして我々「子どもなし世帯」は、どうやってこの環境に馴染んでいったら
いいのか、と考えあぐねているところなのです。
お引越しをされた方、あるいは、現在の地域やコミュニティに馴染むために
皆さんがどのような工夫や努力をされていたのか、お聞かせ願えたらと思っております。]]>
人生、勝ち負けなんて分類出来るのかな?
http://stamago.exblog.jp/2295163/
2005-10-07T18:54:47+09:00
2005-10-07T18:54:39+09:00
2005-10-07T18:54:39+09:00
s-tamagosan
その他
「勝ち組」とか「負け組」とか言うけれど。
私はなんだか宙ぶらりんなところにいるんじゃないか…?と。
オンナ32歳5ヶ月(そんな詳しく書かなくていいよって?!)。
この年齢って、
1)子育てに邁進し、公園デビューを果たし、ママさんの連帯感を共有している人達。
2)キャリアウーマンとして、お仕事でもかなりいろいろなことを任されている人達。
3)もしかしたら(まだ早いか?)親御さんの介護に必死な人達。
4)自分のライフワークを見つけ、それに没頭する人達。
5)その他もろもろ…。
私は、確かに結婚はしている。
私は、確かにお仕事もしている。
けれど、子どもはいない(努力していないわけじゃないんだけど;;)。
お仕事はなんとかかんとかやっているけれど、無理は出来ない体とココロなので
キャリアウーマンとして邁進することは出来ない。
親は自分以上に元気満々なので、介護の必要は「ぎっくり腰」の時以外必要ない。
まだ自分のライフワークとして「これを極める!」というのは決まっていない。
そこまでよくよく吟味して、初めて人生、満足出来ているかどうかって
決まるのではないかと思うのです。
だから、単純に勝ち負けなんて二分することは出来ないし、
人生そんな単純なモノではないと思うのです。
単純化して分類出来たら、複雑な人間を把握しやすくて楽だ、と思うから
するのだろうけどね。
血液型とか星座の占いなんかも似たようなモノだと私は思うけれど…。
どうなのでしょう?
皆様のご意見をお聞かせ願えればと思います。]]>
知能検査の勉強。
http://stamago.exblog.jp/2249432/
2005-09-16T23:54:19+09:00
2005-09-16T23:53:31+09:00
2005-09-16T23:53:31+09:00
s-tamagosan
心理
今、田中ビネー知能検査の講習を受け、ペーパーテストは受かりました。
あとは、実際に知能検査を2ケース(小学生1人、成人1人)提出し、
レポートを2つ提出して、合格すれば田中ビネー知能検査Ⅴの認定資格(2級)を
取得できることになっています。
今まで、カウンセラーという仕事をしていながら、知能検査をとるセクションに
就いたことがなかったため、検査をとるのは正直言って不得意分野でした。
でも、実際に勉強してみて、知能検査でIQがいくつ、ということよりも、
その人の能力のばらつきとか、検査中に観察されるその人の傾向、
そして、検査のプロフィールを書いてみて見えてくるその人のパーソナリティ
の方に私は興味を持ちました。
知能検査は、とりっぱなしでは意味がありません。
不得意分野をどう得意分野でカバーしたらうまくやっていけるか、というところまで
所見が書けないと何も役立たないんだなぁ…ということを改めて思い知りました。
ちなみに、私は同僚にWISC-Ⅲをとってもらったのですが
(一応最初は9歳児という設定のつもりでしたが)
…そのうちマジになってきますね(苦笑)
自分の負けず嫌いなパーソナリティ、喋りながらゼスチャーを交えながら
説明する特徴、算数は紙を使って計算できないとなると手の上で筆算をする
自分がいる…など、やりながら自分の性格を改めて見直すいい機会になったと思います。
それにしても…
小学生の知能検査をとるという課題があるのですが、
私の周りに小学生がいない…という大問題があります。
少子化はこんなところにも顕在化してくるのでしょうか…?
知能検査の勉強を通して、知能そのもの以外のところの勉強にもなったなぁと
感じています。]]>
幼少期の習い事。
http://stamago.exblog.jp/2046441/
2005-06-25T06:36:52+09:00
2005-06-25T06:37:18+09:00
2005-06-25T06:37:18+09:00
s-tamagosan
教育と福祉
週半日、4校行っている。
公立だが、とある名門小学校といわれるところにも派遣されている。
そこの小学1年生の授業見学の際。
子ども達と話をしていて、なんというか…
子どもなのに、何て忙しいんだろう!とつい思ってしまった。
小学1年生が。
まぁピアノとか水泳とか少年野球とかサッカーとかはあるだろうけど。
生け花とか空手とか塾とか…。
習い事のない日は週1日だけ、という話まで出てくる。
振り返ってみれば。
確かに私もそうだった…かもしれない。
(註:私は決して名門小学校の出ではありません!)
英会話。ピアノ。週2日の水泳。
小学1年生の時はそんな感じだった。
確かに、近所の人と遊んでいる暇なんてないな…。
(小学5年になると、水泳が塾にすりかわるのだが。)
そうなると、
出来る友達というのが、学校の友達よりも習い事の友達の方が多くなったりして。
今頃になって、再度考える。
本当にそれでいいのかなぁ?
それで自分は社会性がきちんと身についたかなぁ?
「あたしはこれも出来てこれも出来て…」って
鼻持ちならない小学生じゃなかったかなぁ?
…ついつい、人のフリ見て我がフリを反省。
習い事に圧倒される毎日って、実際どうなんだろう?
もっとお友達と遊べた方が、人付き合いの良い人間になっていたのではなかろうか?
名門小学校の子ども達を見ながら、ついそんなことを危惧してしまう自分がいる。]]>
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